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Webエンジニア susumuis の技術ブログ

このブログの内容は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

Twitterをやめてみて思うことをそろそろ書く

今朝、会社のボスから
「『ソーシャルの時代、そこに参加していないということは、自分がいないのと同じ』と言われるのに、きみはTwitterをやめてそこから消えるという行為をしたことが衝撃だったけど、その後どうだった?」
というようなことを聞かれました。回答を準備していたわけではなく言葉ではうまく答えられなかったので、このエントリで回答します。

「ソーシャルに参加する、しない」ということは、つまるところ、自分を他人と差別化することだと思っています。今朝、同じ朝礼で同僚が「セルフブランディング」の話をしていましたが、まさしくその世界です。なぜかというと、今は「Twitterをやってる」だけで、少しは「進んでいる」人ということになることができますが、今後、いや既に「やっている」だけでは、周りに埋もれてしまいます。

実際のところ、Twitterをやめてかえってソーシャルに参加している気持ちを強く感じています。それはおそらく、自分が能動的にやめたからだと思います。まずは空気のように感じていたTwitterをやめることによって、かえってTwitterが自分にとってなんだったのかを気づくことができました。そして、自分が何をしたかったのかを考えることができました。まとまった考えを書く場所は、Twitterより、ブログの方が向いていました。

ブログを書くためには、考えたことを推敲しなければなりません。推敲していると、けっこう無意味な事をいっぱい書いていたことに気づきました。別に無意味でも良いのがTwitterなのかもしれませんが、自分がやりたかったことが分かってきた今、自分のやりたい方向にしか動きたくないという気持ちがあります。自分がやりたい方向を定めて進むことが「セルフブランディング」につながると思います。自分にはキャラがあると思っていても、流されていると意外と埋没してしまうものなので。

多分、そのうちTwitterに戻ると思います。その時は、以前とは違う使い方をするでしょう。

あー、書いていて臭いですね。こんなことは自分の中で思っておけばいいので、発表するものではなかったかもしれません。それに僕自身、考え方が今後変わるかもしれないです。あくまで「今」思っていることです。

「あー、Twitterやめてひと月の人はそう思うのか?」というくらいに見てくれれば良いと思います。

別にフォロワーの多さとか、はてぶの多さとかがソーシャルでの成功を意味するとは限りません。元々そんなことは気にしてやっていなかったのですが、Twitterを通じて、自分よりも上のエンジニアの方々をたくさん見てしまったので、自分もその人達に近づくためにはどうしたら良いか、あれこれやってるわけですよ。

戦国時代にTwitterがあれば楽しいと思う

今の状況は、僕は戦国時代の武士と似ていると思っています。



今、播磨灘物語を読んでいます。ちょうど1巻が終わったところで、2巻以降はAmazonで注文しているところです。今夜家に帰ったら届いているでしょう。1巻の初めの方は主人公の黒田官兵衛の先祖の話が出てきます。故郷の村を何らかの理由で追われ、諸国を転々としながら家族を抱えてその日暮らしをして、どこかに主人に召抱えてもらえるように動きます。そんな武士達は当時沢山いたのだと思います。戦国時代というのは、合戦のイメージが強く、とても情報とは程遠いと思われますが、実は、人々は、馬借や商人、キリシタン、あらゆるコネをつかってあの手この手の方法で情報を飛び交わせています。主人公の黒田官兵衛は、この戦国時代版ITリテラシーが高かったのだと思います。彼は小国の家臣という立場にありながら、キリシタンというコネを使って将軍の側近、そして、織田信長近辺へアンテナを広げていきます。

この時代にTwitterFacebookがあったら、武士達は活用をしたでしょう。おそらく合戦はあるでしょうし、時代の中でやっていたことは変わらなかったと思いますが、多少時代の動きは早くなっていたと思います。なぜかと言えば、今の雇用情勢は、合戦の合間に戦国時代の武者たちがやっていたことに似ていると思うからです。